じゃらん九州取材対象地域は、九州7県と山...

概要

海外旅行情報誌「エイビーロード」(2006年休刊)の国内旅行部分を分離して創刊した。

北海道版、東北版、関東版(アクティブじゃらん、リラックスじゃらん)、東海版、関西版、中国・四国版、九州版の8タイプがある。

旅館やホテルの紹介が大半を占めるが、特集などの記事も多い。

またインターネット版の「じゃらんnet」では、旅館やホテルを直接予約することができる。

なお、「じゃらん」の由来は、「道」「プロセス」を意味するインドネシア語の「jalan」から。ちなみに「jalan-jalan」で「散歩する」「ブラブラ出かける」「旅行する」の意味になる。
また、JAPANの真ん中に「レジャー(leisure)」の「L」があるという意味でも名付けられている。

毎月1日発売(15日発売、20日発売の版もある)

じゃらんnet


2000年11月11日サービス開始。日本国内の旅館やホテルをインターネット上で予約できるサービスを行っている。

地図や日程から宿泊施設を検討・比較・予約できるだけでなく、じゃらんで掲載される特集記事や、各旅行会社が提供するパッケージツアー、全国の観光スポット・イベントなど、国内旅行に関する情報も多く掲載している。

じゃらんnet会員になって、宿泊予約をすると、宿泊料金の5%をポイント還元され、次回の宿泊割引や無料宿泊券、グッズ交換を行うことができる。

アクティブじゃらん・リラックスじゃらん


主な取材対象地域は、1都11県(神奈川・千葉・埼玉・群馬・栃木・茨城・福島・山梨・長野・新潟・静岡)。
内容や時期によっては、東北や沖縄・北海道・九州など広域にわたることも。
創刊は1990年1月24日、「じゃらん」ブランドの中でも最も古く、2010年には創刊20周年を迎える。
「貸切風呂」「いちご狩り」「露天風呂付き客室」などの開発も行ってきた。
レジャー・スポーツ体験・季節限定の楽しみなど、「アクティブ」なお出かけを提案する「アクティブじゃらん」が毎月1日発売、滞在地や宿泊施設で「リラックス」したお出かけを提案する「リラックスじゃらん」が毎月15日発売。

じゃらん中国・四国


取材対象地域は、中国地方5県、四国4県を中心に関西・九州エリアまで。中国エリアから日帰り〜1泊2日で行けるエリア。創刊は2003年と「じゃらん」ブランドで最も遅い。観光、グルメ、宿泊情報のほか、ドライブ、花火、紅葉、味覚狩りなど季節イベントや地域の旬の情報が毎月発信されている。編集部が直接足を運んで見つけてきた情報や現地スタッフからの声など、ローカル誌ならではの、"現場の生の情報”を集めることに注力している。岡山県・湯原温泉が発生の「露天風呂(6月26日)の日」にちなんだ「露天風呂半額特集」や、「いい風呂(11月22日)の日」にちなんだ「いい風呂半額特集」、「ふぐ・かに5000円プラン」など、「お得」にこだわったコンテンツも多数。

じゃらん

じゃらんは、リクルート発行の、旅行専門雑誌。

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神戸

『日本書紀』崇神天皇7年11月8日(紀元前91年12月27日)条に初めて神戸・神地を定めたとされており、これが神戸の起源とされている。これを史実とすることは出来ないものの、早い時期からヤマト王権や豪族達によって保障された神社所属の部民があり、これが神戸の由来であったと考えられている。

大化の改新以後に元来の部民が神戸として編成され、律令法における神祇令において神戸の規定が設けられた。これによれば、神戸より出す租庸調は全て神社の造営や供神料に充てられて残りは税(おおちから)あるいは神税と称して義倉に準じて貯蔵したが、これを元手に出挙を行うことを禁止された。国司が内容を検校した後に神祇官に報告を行い、神戸からの租税は全て神からの賜物として神社が獲得した。また、国司は神戸の住民の戸籍である「神戸籍」や租庸調の台帳である「神税帳」「神戸庸調帳」などを作成(管理は神祇官が担当)し、神戸の住民の中から祝部を徴用する義務を負った。その他にも神戸の住民は神社の修造や祭祀に従事する義務を負い、出家得度は禁じられていた(これは宗教的な意味もあるが、主目的は課口の減少防止にあったとされている)。もっとも、当時神社の経済生活は小規模で簡素であり、神戸の住民にそれ以上の賦課がかけられることは無かったから、公民の負担と比較すれば軽いものであった。なお、神社に対する封戸である神封を神戸と同一と考え、神社に対する部民が律令制のもとにおいて神社に与えられた封戸の民(神封戸)になったとする考えがある。それに対して封戸の田祖の半分は国家に納める義務を有していた(賦役令封戸条)規定と矛盾しており、神封を例外とする規定が確認されていないことから、租の全額が神社に渡る神戸と半額が渡る神封は律令制初期においては別個に並存していたとする考えも強い。もっともその場合でも天平11年(739年)に封戸の租の全額が封主に渡ることになると、神戸の規定との差異が失われ、神封と神戸が混同されるようになったと考えられている。

大同元年(806年)の太政官牒(『新抄格勅符抄』所収)によれば、神戸の総数は170社5884戸であり、最大が宇佐神宮の1660戸、続いて伊勢神宮の1130戸、大和神宮の327戸と続き、100戸以上は8社、100戸未満10戸以上は54社でその他100社余りは10戸未満で1戸もしくは2戸という例も多い。これは寺封よりも圧倒的に少ない(寺封最大級の東大寺の5000戸に比べ、宇佐神宮は1/3)が、これは神社が寺院のような大規模な施設や祭祀を必要としなかったことが大きい。また、天皇家の祖先神である伊勢神宮より宇佐神宮が上回っているのは、奈良時代から平安時代初期にかけての宇佐神宮に対する信仰が盛況であったことと関わりがあるとされている。また、大化の改新後に評(郡)そのものが神社に寄進された神郡における課戸(神戸と同様の役割を果たした)が反映されていないと考えられており、2郡の神郡を有する伊勢神宮の経済規模が神郡を持たない宇佐神宮のそれを下回ると単純に解釈することは出来ない。

平安時代に入ると、律令制の弛緩とともに中央の財政難を理由に神税の一部を神祇官に送って行政・祭祀経費や官人の給与に充てる例も現れた(伊勢神宮の場合、同社と直接関わる官司である斎宮寮にも行われた)。だが中期以後、地方政治も乱れ、国司の管理が行われなくなり、逆に神社側が直接管理するようになる。これによって神戸は神社の荘園の一部として編入する動きが進行するようになり、後世における社領の基礎を形成するとともに各地の神社の荘園に「神戸」の名を負う荘園が出現するようになった。

熱海

・熱海(ねつかい)はイシク湖の古名。
・熱海市(あたみし)は日本国の静岡県の市。
・熱海温泉(あたみおんせん)は、熱海市に在る温泉。
・熱海(あたみ)は、日本海軍の砲艦。


湯布院

旧湯布院町・挾間町・庄内町の合併が決定した後、合併後の市名を「由布市」と定めたことをきっかけとして、湯布院町内の由布院および由布院温泉観光協会を中心として合併反対の機運が高まった。これは、旧挾間町・庄内町の領域を含む(由布院温泉に含まれない)地域への「由布院ブランド」の拡散、およびそれに伴うブランドの失墜を危惧したものであると言われる。由布院の観光地としての知名度を高め町づくりに取り組んできたと自負し、また以前から合併に懐疑的であった由布院の観光協会にとって、「由布」を冠する地名の拡大は座視できないものであった。

一方、湯布院町の中でも由布院温泉に含まれない区域、例えば湯平においては、合併に対する受け止め方は由布院とは、かなり異なったものであった。もともと湯布院町は、1955年の昭和の大合併の際に、旧由布院町と湯平村が合併してできたものである。その際、湯平村では由布院との合併により湯平および湯平温泉の独自性が失われることを危惧して反対の声も多かったが、合併は強行された。合併の結果できた新しい町名は「湯布院町」で、「ゆふいん」の読みを音で聞いただけでは、「湯布院」と「由布院」とは区別がつかない。


そのうえ、上記の「由布院ブランド」は実際には、全国的に「湯布院ブランド」として広められ、本来は由布院と湯平を合わせた「湯布院町」という自治体名・町名であったはずの「湯布院」という名称が、由布院と由布院温泉を表す名称として使われている。つまり、「湯布院」がこの自治体内の一地区を表す地名であるかのような誤解が全国に広まってしまった。さらには、湯平温泉や塚原温泉がその一部分であるかのような紹介が、観光業者などによってなされてきた。

由布院とそれ以外の地域の合併に対する受け止め方の違いを考えるとき、このような地名の呼称にまつまる歴史的な事情も見逃すことができないだろう。全国的な「湯布院(由布院)ブランド」の陰にあって疲弊し、存続の危機にあった湯平温泉などにとっては、「湯布院ブランド」からの独立の好機ととらえる人々も多かった。
合併反対派の住民らは、合併推進派の町長のリコールを呼びかけた結果、リコールに必要な町内有権者の3分の1を超える署名数が集まったことを受け、合併推進派の佐藤哲紹町長が辞表を提出、出直し町長選挙になった。しかし、結果的に反対派は町内の過半数の支持を集めることができず、佐藤町長が再選したため、「由布市」は当初の予定通りに誕生することになった。

「由布市」誕生後は、湯布院地区の住民に残ったしこりをどうするか、また由布院観光と由布市全体の観光・産業振興をどう調和させていくのかが、課題として残されている。そして、この「しこり」には平成の大合併だけでなく、昭和の大合併、およびその後の湯布院町の歴史に遡った検討が課題として残されている。いずれの時も、観光地としての独自性をどう維持するかという課題にかかわる課題であった。由布院温泉、湯平温泉、塚原温泉という歴史も泉質も異なる温泉地が、互いに近くに存在するという利点を生かし、互いに独自に対等な立場で共存する方向性を模索できるかが、今後の課題となるだろう。

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